扉のノックされた音に少し驚く。

 読書に集中していて気配に気付かなかった事と

 ノックされた事そのものに。

 共に生活を送る嫌味なほど顔の似た弟ならノックなどする筈もないから。

 だとすれば扉の向こうにいる人物は後一人しか思い当たらない。

 ゆっくりノブを回せば予想通りの黒い瞳がこちらを見上げていた。



 01.背中合わせ



 「こんにちは、バージル」

 満面の笑みは溜息をひとつ着いた後の質問で曇った。

 「…来る前に電話をしろと、何度も言った筈だが?」

 「うっ…」

 はいつもこの危険なスラム街へ一人で出向いてくる。

 自分もダンテも彼女に何かあったらと気が気でないのに。

 それにもうひとつ、彼女一人がここへ来る過程で心配なことがある。

 「それにお前は少し方向感覚が…」

 「ダメ!それ以上言わないで…っ」

 彼女は「迷子になりやすい体質」だ。

 (子供の頃何度もを探し回った記憶がある)

 この入り組んだ路地の多い場所で毎回迷わずにここへ来れることが奇跡に近い。

 電話さえしてくれば迎えに行く言っているにも関わらず、が電話をよこしたことはまだ無い。

 「方向音痴の方は前よりマシになったし、ここへはちゃんと来れるよ」

 「それにしても一人でこの周囲をうろつくのは危ないだろう?」

 「…逃げ足だけは私早いよ?」

 「

 あまり彼女を咎めるつもりはないのだが、声色は冷たくなってしまった。

 の首がうな垂れる。

 こういう時、ダンテなら上手くやれるのに。

 思うとおりにいかないことに心の中で舌打ちをした。

 「……お前のことが心配なんだ」

 今度は出来るだけ柔らかい口調で。

 わかってくれと髪を梳くように頭を撫でる。

 す、と視線だけを合わせた彼女はそっと呟いた。

 「ごめんなさい…あの、ね。

 だってここから家まで近い訳じゃないでしょ?だから…その、」

 「悪いと思ったのか?お前が遠慮することは何一つ無い。

 こちらが勝手に迎えに行くといっているだけだ」

 そう続けるとやっとうな垂れた頭が持ち上がる。

 「…じゃあ、今度からちゃんと連絡するね」

 に笑みが戻ったことに安心してあぁとだけ返した。

 「下でコーヒーでもいれて来よう」

 部屋で待つように促すと彼女は服の裾を掴んで引き止めてきた。

 「コーヒーはいいんだ。それより…」

 ごそごそとトートバッグから一冊の本を取り出して続けた。

 「今日は読書会でも開きませんか?」

 

 時間がなだらかに流れていく昼下がり。

 木漏れ日が丁度降り注ぐ部屋に明かりは不要だった。

 腰を下ろした場所はベッド。

 手には先程読みかけていた本。

 背中越しに感じる彼女の存在。

 「久しぶりだね、こういうの」

 「……そうだな」

 背後から聞こえる彼女の声は随分と楽しそうなものだった。

 会話はそれで終わり、次から紙を捲る音が響く。

 自分も遅れてページを捲り続きを読む。

 しかし目が文字を追うだけでそれらはまるで解読できない暗号のように感じた。

 意識が行くのは本ではなく、背中合わせの体温。

 息を吸って、それから吐いてのリズムが伝わってくる。

 読書会と銘打ったにも関わらず、目的が果たせない。

 昔からこんなだっただろうかと彼女に気付かれないようそっと本を閉じた。

 

      『ばーじる、ばーじる』

      「何?」

      『えっとね、えーっと…「本」一緒に読も?』

      「本?あぁ、じゃあ上へ行こう」



 舌足らずに呼ばれる名前は不快でなく、むしろ心地よくて。

 懸命にこちらの言葉を使おうとする姿は微笑ましかった。

 まだ言葉をあまり解さない彼女は返ってきた異国語に首を傾ける。

 言葉が通じないのなら行動で――

 強くなりすぎないように彼女の手を引いて自分の部屋まで導いていた。

 スプリングの効いたベッドにはしゃぐ彼女を背に

 開いた本の文字は今よりは理解できていた。

 彼女の方も本を読み始めると部屋には紙の音だけの沈黙。

 たまに彼女が出す感嘆の声に静かに笑っていた事を本人は知っていただろうか。

 あの頃は体格にたいして差がなかったのだとふと思う。

 今の彼女の背中はとても小さい。

 時間が、相当の時間が経ったと実感させられる。

 しかし瞼の裏のあの頃と開いた先の今とは余りに似過ぎている。

 日当たりや空気が。

 まるであの頃のあの部屋に舞い戻った様な錯覚。

 違う、と首を左右に振って正気を取り戻す。

 今は今でしかないし、彼女の背中を小さく感じる様に変わった事もあるのだから。

 …そういえば、何故本を読む時はベッドが定位置となったのだろう。

 母にそうした方が良いといわれてからそうするようになったのだが。

 

 「ねぇ、バージル…」

  

 ぐと背中に寄りかかる重みが増す。

 何だ、と返すより先に過去の記憶が鮮明になる。

 そうだった、それから先彼女は――

 

 「バージルの、背中…あったかい…、ね……」



 背中合わせで布越しに伝わる熱に誘われるまま眠ってしまうから。

 

 微かに響いていた紙の音が消えると小さな寝息に代わった。

 呆れなのか何なのか自分でも分からない溜息がこぼれる。

 首だけ振り返って視界に映る艶のある黒髪に声をかける。

 「…?」

 「………」

 やはり返事はない。 

 軽く体をずらし手で彼女の体を支えながら合わせていた背中を離す。

 重力に従って小さな体は自分の腕の中に落ちてくる。

 その衝撃に目を覚ましはしないかと覗き込んだ表情は穏やかだった。

 あまり無防備な姿に苦笑せずにいられない。

 僅かにひらかれたうす紅色の唇を人差し指と中指でつとなぞる。

 

 「男と二人きりでこの状況、か……襲われても文句は言えないな」

 

 少しずつ、互いの距離が縮まっていく。

 彼女の寝息は規則正しいまま。

 

 「………」

 

 ちゅ、という音。

 落とした唇の先は彼女の目元。

 ゆっくりと顔を離しながら腕の力を少し強める。

 「…いつか正々堂々頂くことにしよう」

 絶対に本人に届かないことを知る上で囁く予告。

 彼女の手に握られたままの本をそっと取り上げて脇に除ける。

 可能な限り優しくその体をベッドに横たえてやると、自分にも睡魔が襲ってきた。

 背中合わせに伝わる体温にやられるのは彼女だけではないらしい。

 あの頃も、彼女につられるまま一緒に自分も――

 「まったく…変わったのは身体つきだけ、ということか…」

 抗う理由は無いと、の隣に体を倒す。

 暗くなりかけた視界の先にあった彼女の手と自分の手を絡める。

 自然に持ち上がる口角。

 「おやすみ、

 良い夢をと続けようとしたのは重すぎる瞼によって絶たれた。

 瞼の裏も繋いだ手と同じように繋がっていれば良い。





 







 何か読みにくいかも??
 あの子供の頃の会話のトコ。
 「」は英語、で『』は日本語って区切りのつもりで書いたのですが。
 うむぅ、これからも子供の頃の会話って出てくるんだけどな…
 分からないわけじゃぁないんだけど…他に良い案がないしなぁ(苦笑)
 そしてやっぱり千はお兄タンラブなのでネ、
 この幼馴染夢は平等の愛を注ぎたいと思っていたのに
 めっちゃお兄タンに傾いてるやん…(あーぁ)
 まぁ、いつかダンテよりな夢を書いてしまえば良いかな?